空洞

Hearthstone(ハースストーン)の話など。雑記もあります。

学歴という名の呪い

 
 
 

「あなたの持つ東京大学大学院卒業という学歴は、あなたのこれからの人生で呪いとなりうるかもしれない」

と卒業式で学科長が述べていた。

 

だいたいの卒業生はエリートコースを強制的に選ばせられる。会社もその前提で入社をさせたりして、重い業務にきつい残業を与えたりする。そんなもの求められておらず、やりたい人がやればいいのに、と誰もが思うようなことを卒業生たちは心のどこかで思っているのだろう。

しかしながら、自分にとっては他愛のないことなのだが、周りの人間から見たら特異なことであることはままある。足がないくらいで障碍者だからほかの能力もないと思われたり、顔の各パーツが数ミリずれている程度で勝手な嫉妬を受けたりと、人間はやはり外側の皮を重視する傾向にあるのだからしかたのないことなのだ。この世にいる限り因果応報で自業自得ってことか。

 

それにしてもまあ、自分より賢い人間が考えていることはわからなくないか?

実際、研究室の後輩たちは非常に優秀でかなわんなあと思うことは何度もあった。飲み会で四元数の話をしたり、ハードSFの話で時間や空間の話をできる場所は日本では数少ない。全くもって専門ではない科学に対して、恐れなく話せるのは知能の高さに依存する。

人間は、自分の知覚より広い世界の話を理解できないことがある。
例えるならば、

①未来の概念が把握できない場合

「明日は雨が降るみたいですね」

「今は降ってないから明日はどうなるかわからないじゃないか」

 

②場所の概念が理解できない場合

「大阪では雨が降っているみたいですね」

「ここは雨が降ってないから雨は降ってないぞ」

 

これはありえないと思うかもしれないが、特に優れた脳を持つ人間から見たら普通の人の認知能力などこの程度のものだ。複素数を概念として理解できない人間のために、ガウスみたく複素数平面を作ったりして、誰でもある程度認知できるようにして、配慮してくれている人間には頭が上がらない。自分よりずっと優れた認知を持つ人間から見た世界は、どう見えているのだろうか。

ではまた。

 

 

隣の芝生は青い

どうにも生きるのには向いていないのだ。

気楽に生きられるほど楽観的ではない。自堕落に生きられるほど脳が弱くない。ただやりたくないことができない。やりたいことしかできない。そんな人間がどんな人生を歩むつもりだろう。

 

人生がなんだというのだ。人生に勝ちや負けがないのは理解しているが、では勝ちや負けがないならば何を基準にすればいいのだ。自分にはノルマが必要なのだ。

ノルマはnormalから来ていて、一般・平均、いうなれば「普通」だったが、それが今や最低基準だ。普通が最低基準の世の中にはぴったりの言葉だ。

しかし自分は、まったくもって賢い生き方をすることができない。そのノルマで生きられればいいと思ってはいるのだが、それが、その考え方がどうにも相容れない。
大企業に入ったほうが安定? 周りに高い評価を得ているから安心?

 

何かになりたいわけではない。何もほしくないわけではない。むしろ全部ほしくてたまらない。だからといって臆病者がどれもこれもとせっつくことはできない。全部ほしいのにどれも手に入らない、選ぶために選択肢を増やしたのに増やしたせいで選べない、そんなジレンマ。

脳がふわふわしている。スポンジのようだ。空っぽの脳に森永ラムネを流し込んで運転させている。もう充分だ。脳のハードディスクドライブは、駆り立てられるのはたくさんだ。

 

英語を勉強するときに使う押し入れ的bookmarks

ヒマだなと思った時に眺めるのに便利

 

局所的なもの

N/A の意味と使い方 英語圏の会社でよく使われている略語 | 英語 with Luke

 

メールとか会議前とかスケジュール用に役立つ

 

略語が分かんないときに

 

 

www.canada-ii.com

 

随時更新

 

 

レジェンドになる意味あるの? って話。

おじいちゃんの戯言だと思って聞いてほしい。

意味があるからやる、利益が出るからやる、そんなんじゃなかった。

面白いから、やってみたいからやるだけ。
意味なんかないけど、ただうまくなりたい。何かが得られるわけじゃないけど、ただなりたいからなる。それでいいじゃないか。

最近のハースストーンは、利益があるからなるって感じがある。シャドウバースを見ているとその100倍ぐらい感じる。最近のesports業界全体にそういう雰囲気がある。得するからこのゲームをやる。このゲームやる意味が自分にはないからやらない。いわゆるビジネスゲーマーが横行する時代になってきたと思う。それは、業界全体の成長と成熟という観点で見れば悪い事ではないかもしれない。

けれど、ゲームに対して真摯に向き合うって感じがしないんだ、どうしても。

なんでそのゲームやってるんですか? って聞かれて、
「面白くないけど金になるから」って答える時代が来ていると思う。

職業としてのゲーマーならばもはや仕方のない事だろう。

しかし、趣味としてのゲーマーは、ゲームにやらされているという状況ではなく、自分でゲームを選択してほしいと切に願う。

米津玄師とりぶ

 

米津玄師とりぶと僕は同い年って話。そしてハチ時代から米津玄師としての現在にいたるまで、そしてりぶの活動から活動休止まで、彼らの活動をただ見ていた。大勢の人にとっては本当にどうでもいい話をだらだら書き出しておこう。同い年だしもうくん付けで呼んじゃおう。やっぱやめとこう。どっか遠くに行こう。え、僕は誰だって。僕は勝手ながら同年代として親近感を持つ小さな人間。アイネクライネ。

※公開するか迷ったけれどりぶが久しぶりに歌をアップしたので上げます。この記事は2017年8月ごろに書いたものです

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近況=宇宙論と私

しばらく記事を書いていなかった。仕事が忙しくなってきたというのもあるが、どうにも考えることが多く書くことが億劫に感じられてすまない。自分の中では書くという行為は独立している。他の何かが頭をもたげていると、どうにも書き続けてまとめることが一向にできない。仕事の新規事業をどうするかでいっぱいの頭では、それが頭の中を渦巻いて書きたいことを邪魔してくるのだ。

 

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