どうにも生きるのには向いていないのだ。
気楽に生きられるほど楽観的ではない。自堕落に生きられるほど脳が弱くない。ただやりたくないことができない。やりたいことしかできない。そんな人間がどんな人生を歩むつもりだろう。
人生がなんだというのだ。人生に勝ちや負けがないのは理解しているが、では勝ちや負けがないならば何を基準にすればいいのだ。自分にはノルマが必要なのだ。
ノルマはnormalから来ていて、一般・平均、いうなれば「普通」だったが、それが今や最低基準だ。普通が最低基準の世の中にはぴったりの言葉だ。
しかし自分は、まったくもって賢い生き方をすることができない。そのノルマで生きられればいいと思ってはいるのだが、それが、その考え方がどうにも相容れない。
大企業に入ったほうが安定? 周りに高い評価を得ているから安心?
何かになりたいわけではない。何もほしくないわけではない。むしろ全部ほしくてたまらない。だからといって臆病者がどれもこれもとせっつくことはできない。全部ほしいのにどれも手に入らない、選ぶために選択肢を増やしたのに増やしたせいで選べない、そんなジレンマ。
脳がふわふわしている。スポンジのようだ。空っぽの脳に森永ラムネを流し込んで運転させている。もう充分だ。脳のハードディスクドライブは、駆り立てられるのはたくさんだ。