ここ最近、高齢者の事故のニュースが目立つ。ほとんどテレビを見ないが、それでも多くの情報が飛び込んでくる。
聞くたびに疑問が湧き出る。
・そもそも高齢者の事故率が増加しているのではなく、高齢者の人口が増加しているから、高齢者の事故件数が増加しているだけなのでは?
・高齢になれば判断の速度は落ちるが、それは要因の一つであるだけだ。どの程度の習熟度のドライバーが事故を起こしているのだろうか?
結局のところ統計データを見てみないとわからないことだらけだが、感情論で物事を語る人には関係がないのだろう。それを報道したところで理解できる人間は少ないから。免許返納を声高に叫んでいても、高齢者の生活は見ていない。高齢の方々だって自分が車に乗るリスクぐらいわかっている人もいる。なぜ車に乗らなければいけないのか。
車に乗らなければ生きていくのが難しい人々がいる(と思っている)。それが現状である。そこを解決する手段を車に乗せなければいいと考えるのはあまりに浅薄ではないか。どのように解決すればいいのかについて議論して、実行せねば誠実とはいえない。
本題に戻るが、運転といっても様々だ。
①人通りの少ない田舎道を走る
②信号無視をする歩行者が横断する、都内の細い道を走る
③凍った路面で傾斜のある山を下る
すべて運転である。これらをひとくくりにして、「運転免許」という許可証ですべてが許されている。私は運転免許を持っているが、都内に住んでいるため運転する機会がない。②、③のケースを今すぐしろと言われたら、事故を起こす可能性は少なくないだろう。運転といっても、どの程度運転できるか、というのは個人によるのだ。あなたは自分がどのような状況でどれだけ運転できるだろうか? またそれを実証する手立てはあるか?
ごく個人的には、やはり練習し適性を測る施設が欲しい。自動運転が発展するまでは、いや自動運転の研究の副産物として多くのデータが存在するのだから。先日のAI EXPO,VR運転の展示は非常に良かったので、あれが公に利用されたら、運転のイメージがよりできるなあと思う。
また、インドのデリーに住んでいたころを思い出す。交通事情はもっと悪く、日本の50倍の交通事故発生率といわれている。実際にそこかしこで事故は見られ、警察は来ないし、救急車の道はほとんど空くことはない。日本に帰ってきてこのように交通事故で大きなニュースになることに違和感すら感じた。毎日のように車で人が死んでいたから。日本はいかに交通事故が少ないかということがわかる(それでも人が死にすぎているが)。
この話に単純な結論はない。すぐに自動運転が普及するわけではないし、高齢者が若返ることもない。ただ、今後10年で車の事故が減ることを望むだけだ。おれを轢き殺さないでくれと願いながら。
その確率は宝くじが当たるよりずっと高い。この記事を読んでる人間も同様だ。幸あれ。