すべてのものは鏡だという話。
鏡は自分を外見から判断するのに非常に役立つ。自分がどう見えているかというのは意外にもわからない。客観的に判断する材料となりうる。
と思っているだろうが、実際のところ、実はそこにはバイアスがかかっている。
鏡に映った自分が実物よりよく見えるというのは、自分がかっこいい・かわいいと思っていることを「映している」。
自分のことを見ているようで、実は自分の見たい部分しか見ていない。鏡を見た時に自分がどこを見るかで、自分の自分に対する焦点が定まっている。気になるところ、それは自分の目、または髪型、または口、または肌。全部の自分を見ているようで、半分も見えてはいない。鏡でさえ、自分の見たいようにしか見ていないのだ。
ドラえもんに「かがみのない世界」という話がある。
お馴染み 「もしもボックス」 が登場するエピソードの一つで、鏡で自分の顔を見るのが嫌になったのび太が、もしもボックスで「かがみのない世界」を作るというもの。
そして、初めて自分の顔を見たジャイアン達の反応がコミカルに描かれる。
そこでは自分の姿を映すものがない(テレビなども自分の姿は映らない、概念がない)ので、みんな自分の姿を見たことがない。みんな自分の容姿への自己評価が高く、ジャイアンはタレントになろうかと言っている。
そこでのび太とドラえもんは鏡を見せる。ジャイアンは生まれて初めて自分の姿を見たとき、
「ゴリラみたいな生意気な男の子」という評価をする。
またスネ夫は、
「みるからにズルそうな、感じの悪いやつ! でもゴリラというよりキツネだな」という。
彼らにはバイアスがないため、率直に鏡を見て思ったことを言ったのだろう。
(しずかちゃんは「かわいい女の子がいるわ」と言ってのけた)
鏡がないと、自分の評価というのはある程度高くなってしまうものなのだ。人間、自分の姿を自分で評価するのはいかに難しいか。
同様に、私たちがふれているものも鏡だといえる。自分がどう考えているか、どう感じているかを探る手掛かりとなる。他愛もないものでもなぜそれを選んだか。なんとなくで判断したのだろう、と思いこんでいる。
それは遺伝的に決定されていたものなのか? 環境的にそうなって判断したのか?
それを見つめると、リアルな自分が見えてくるかもしれない。
次に人間の潜在意識の話をしよう。
どうにもスピリチュアルな感じがするが、もっと分析的に、行動経済学的に、目には見えないものを結果から解釈するという点で解析的ともいえる。
随意的思考は10%程度で、実際90%は無意識的に判断している。なんとなくそうしたい、ということはなにかそこに因子が存在していて、過去の経験や思考、嗜好から判断しているのだろう。
思考を文章に書き起こすのに疲れたのでこの話はまた次回。