やられたらやり返さない、というきれいごとを聞いたことがあるだろう。
なぜそれが成立すると思えるのだろう。私には到底わからなかった。人類はそこまで愚かでない。そして賢くなればなるほどやり返さなければいけない。
逆じゃないかって? いやいやそうではないのだ。賢いからこそ、やり返さなければいけない。その理由を下記に記す。
1.加害者は止まらない
被害者側が無抵抗であるならば、加害者側は攻撃を繰り返し続ける。搾取し続ける。なぜなら、そこにリスクがないからだ。その人間の頭を叩くと5万円が口からあふれる構造になっていたら、人間はなんらかの理由をつけてその人間の頭を定期的に叩き続けるだろう。
やり返すことで、加害者側にもリスクが生まれる。攻撃することが自分の割に合わない、そう考えられる人間は賢い。反撃すること、それが抑止となる可能性があり、小事においては解決ともいえる一時的平和が訪れるのだ。リスクを鑑みず突っ込んでくる人間もいるが、そういう人間はもはや人間扱いすべきではない。しかるべき手段を取ろう。
2.話し合いという選択は反撃があるから成り立つ
こういうことを言うと話し合いを持ち出す人間が少なからずいる。しかしながら、話し合いとは対等な立場であるからこそ生まれる交渉方法の一つだ。被害者側に反撃方法がなければ、そんなものは成り立たない。加害者側から無理な条件を押し付けることにリスクがないからだ。話し合いは加害者側による単なる脅迫に終わることが多いだろう。
しかし、やり返すという選択肢を持っていることを実証できれば、話し合いの場を設けられる可能性がある。攻撃されたくないから、話し合い(交渉)によって結論を導き、答えを出せる。だからこそ、やり返さなければいけないのだ。
3.法では裁けない
人間は自分が被害者にならない限り深く考えることはない。人が死ぬまでは矮小な問題だと考える。痴漢冤罪で誰かが自殺したり、ストーカーに誰かが刺されない限り、それを無視し続ける。
それを防ぐためには、あなたが自衛するしかないのだ。カモだと思われてはいけない。無理だと思ったら助けを求めろ。頼れる人間がいないならネットで探せ。もしくは私を頼れ。
かなりかいつまんで書いたので、反論が多くあるかもしれない。そうだ。自分の意見と違うことを言われたならば、言い返すべきなのだ。