空洞

Hearthstone(ハースストーン)の話など。雑記もあります。

いじめの社会理論

群生秩序と市民秩序(市民社会の規範)でどうなっていじめが発生しているか、という理論的なもの。簡単に書き残しておく。

中学校など、ある狭い世界で群生を強制された人は、彼らなりの秩序を生成する。その秩序は、「ノリ」という集団における空気のようなもので構成され、それが絶対的なものになる(自分がひどく損をする場合のみ別である)。それは市民秩序よりも優先され、暴行・恐喝などは許される。許されないことはそのノリを乱すことである。ノリを乱すものは敵視され、煙たがられ、排除される。それがいじめになっていく。一度それが認定された人間の苦痛に歪む顔を見ないと気が済まない。笑っている顔が許せない。それがその群生秩序に伝染していく。
そしていじめられ自殺した生徒に対して持つ感情は、喜び、憎しみ、無関心である。
自殺すると教室で拍手が起きたり、面談では「ただ遊んだだけよ」という女子生徒がいたり、「迷惑かけんな」と気分を害されたりする。しょうもない正論を投げかけるケースワーカーを睨みつけたりもする。
彼らにとってノリは命より重いのだ。

さて、そのノリとは一体なんなのか。それは、例えばこんな事例がある。
「誰かがその人を嫌いと言うと、自分もその人を嫌いになる。私は別にそうだったわけじゃないけど」

自分は別にその人のことが嫌いではなくても、仲間内の誰かの感情に影響を受け同じ感情を持つ。それは感情というよりも群生秩序の反応に近い。
執筆途中