空洞

Hearthstone(ハースストーン)の話など。雑記もあります。

米津玄師とりぶ

 

米津玄師とりぶと僕は同い年って話。そしてハチ時代から米津玄師としての現在にいたるまで、そしてりぶの活動から活動休止まで、彼らの活動をただ見ていた。大勢の人にとっては本当にどうでもいい話をだらだら書き出しておこう。同い年だしもうくん付けで呼んじゃおう。やっぱやめとこう。どっか遠くに行こう。え、僕は誰だって。僕は勝手ながら同年代として親近感を持つ小さな人間。アイネクライネ。

※公開するか迷ったけれどりぶが久しぶりに歌をアップしたので上げます。この記事は2017年8月ごろに書いたものです

続きを読む

近況=宇宙論と私

しばらく記事を書いていなかった。仕事が忙しくなってきたというのもあるが、どうにも考えることが多く書くことが億劫に感じられてすまない。自分の中では書くという行為は独立している。他の何かが頭をもたげていると、どうにも書き続けてまとめることが一向にできない。仕事の新規事業をどうするかでいっぱいの頭では、それが頭の中を渦巻いて書きたいことを邪魔してくるのだ。

 

f:id:active_galactic:20080804212841j:image

続きを読む

人間は、価値を認めている相手から注意をされたら、素直に言うことを聞きますがそうでない場合は、どんなに正当な内容でも反感を抱いてしまうものなのです。

人間は、価値を認めている相手から注意をされたら、素直に言うことを聞きますがそうでない場合は、どんなに正当な内容でも反感を抱いてしまうという話。

 

続きを読む

シャドウバースグランドマスター到達者のみが知っているたった一つの真実、5選

 
 
 

1.相手のライフを0にしたら勝つ

f:id:void_25:20170806033552j:plain

先に自分のライフが0になったら負け

 

 

2.デッキに入ってないカードは駆けつけない

f:id:void_25:20170806033613j:plain

瓦は鋭い

 

 

3.回線切れには気を付ける

f:id:void_25:20170806033656j:plain

トンネルに入ると落ちる

 

 

4.妄想を語らないで確率を計算する

f:id:void_25:20170806033649p:plain

鵜呑みにしない

 

 

5.チームに入ってもポイントは増えない

f:id:void_25:20170806033700j:plain

消防車は来ない

 

 

 

 

寛容度の話 【人に迷惑をかけるな】

「ベビーカーが邪魔」「赤ちゃんの泣き声がうるさい」「人を誤解させたカス」「あいつは違法行為した屑」「あんなこと言って許されると思ってんの?」「はやく謝罪しろ」

 

見ているだけでとげとげしく人を突き刺すような文章だ。

日本社会には、ベビーカー論争や様々なネット炎上にみられるように、少数派や異なる価値観を排除したり、些細な失言を徹底的に攻撃する不寛容が広がっているのが現状だ。

寛容度という概念はここでは名の通り、人間の寛容さを示している。どの程度まで許せるか、という閾値に近いだろう。

ここ最近、それが低い人が目につく。目につく、といったレベルではなく、あまり主語を大きくしたくないのだが、社会全体に寛容さがなくなっているとすら感じる。10代~20代の人間に特に聞きたいのだが、生きていて窒息しそうなほど生き苦しく感じたことはないだろうか。

 

 

この寛容度の低下は、推測するに2つの事柄が影響しているようだ。

一つ目は世界の情報過多・高速化で、情報を手に入る量が大きく変化し続けていることだ。説明するのは非常に難しいが、これは明示しなくても感じているだろう。

なにせ私たちはYoutubeの動画再生を10秒だって待つことができなくなっているのだから。

 

二つ目は承認欲求と所属欲求の変化だ。いわゆるSNSだな。あまりに身近になりすぎてしまった。誰もが情報発信をし、誰もが観察される世界。相互監視だな。これに関する考察はたくさんされているだろうから、車輪の再発明をしてもしょうがないのでここでは割愛させてもらう。

 

一部の日本人はもはや絶対許さないマンだ。寛容度0の人たちはかなり危険な精神状態にあるといえる。イスラム原理主義者に近いものを感じる。つまり、それは彼らにとって絶対で、守らない人間は死ぬべきなのだ。その人間が死んだとしても当然と思うような状態だ。

どうすればみなが寛容になるかは私にはわからない。ただ、狭い世界に閉じこもれば籠るほど、その排他的な攻撃性は上がって、寛容度が下がるように感じる。日本の学校制度がその最たる例だともいえる。(いじめについて以前書いたがそれに近い)

 

 

思考まとめ

「人に迷惑をかけるな」という文化は日本に根付いている。しかし、「人に迷惑をかけるな」ということは、自分も人に迷惑をかけてはいけないという制約を課している。これは良くない。

日本人はどうして死ぬ直前まで人に助けを求めないの?という外国人ライフセーバーがいた。
「こんなことで他人の手を煩わせてはいけない」
そう思って死んでいくなんてどこか変じゃないか。そもそも人の手を煩わせないなんて生きている以上到底無理な話だ。

今私が住んでいる国では、「生きることは人に迷惑をかけること。だから人の迷惑も許そう」という文化がある。日本人には家族に対してすら遠慮するようなことも平気でする。でも実際されてみると、大したことじゃなかったりする。

まあ夜11時に寝るって言ってるのに夜中に電話かけてくるのにはやっぱり腹が立つんだけどさ笑

でも、笑って許してあげよう。迷惑をかけないことよりも、相手を迷惑だと思わないで受け入れる環境のほうがいいじゃないか。

で、明日から試してほしいことは、「人に迷惑をかけまくってみる」だ。自分が我慢していたような、でも法を犯さないようなことで、他人に迷惑かもしれないけど、やってみたいことをやってみてほしい。

 

ではまた。

年収1000万円の使い方・年収の損益分岐点

 

年収1000万円の稼ぎ方は知っている。しかし、その1000万円の使い方を学んだことはないのだろうか。
幸いなことに、そして不幸なことに、年収が400万円もあれば現在の日本ではさしたる不自由なく暮らしていける。病気、健康、レジャーに関しても無駄な使い方を避ければ様々な使い途ができる。
*それでも幸せに感じない理由は別記事参照

可処分所得が700万円程度に減少することを理解しつつ、その700万円をどのように使えば幸せな気分になれるのか、それを考えてみよう。

続きを読む

ブログを書く理由と欲求

理由は以下の3点。

1.ブログには文字数制限がない

2.TwitterはあまりにReactiveである

3.思考しダダ漏らすのが楽しい

文字数制限がないってのは最高だ。Twitterとの比較になってしまうけれど、やはり140字で書けることというのは限られている。正確に伝えることが難しい。それはそれで和歌のようで美しくはある。

また、ツイッターにはリプライ、リツイートやlikeといった機能があり、書いたことに対してどのような反応が来るかを気にしがちである。そのリアクションを気にして思考を邪魔されてしまってはしょうもない。ブログも反応はあると思うのだが、反応するのに手間がかかるので好きなことを書けるのが現状だ。これはヤバいな、と思った記事は公開せずに下書きにためておいて後で読み返すのがなかなか楽しい。そんな記事が数十個ある。

反応について考えると、最近の中高生は大変だなあと思う。即時反応を求められて生きると反応中毒症状でたぶん手放せなくなり不安症状が…みたいな記事も思いつき次第書ける。ん?ツイッターでもいいか?わからん。これが思考のダダ漏らしだ。こんな感じでガンガン書いてのちにまとめるってのは別にそういう技能がほしいわけではなくて、楽しいからやっているのである。

 

でもほしい物リストは載せる

私はブログに広告を全くつけていないし、収益化しようというわけではないけれども、私個人を応援したいという難儀な方のためにほしいものリストを公開させていただきます。実際なにか頂いたら書きます。コメント付きで送ってくださいませ。

www.amazon.co.jp

 

ではまた。